伊藤 英男さんが同志社大懇親会に参加しました。(2014年2月15日)
おりからの大雪の中、これは多難な道中になるなと覚悟しつつ福島駅の改札に向かったところ上りの新幹線は2時間遅れ。
しかし未だかつてなかった母校同志社大学の大同窓会に何とか参加したいと無理を承知で、やってきた新幹線に乗り込み大混雑の東京駅で乗り換え京都に着いたときは すでに開会後の15時を回っていました。
そういえば私が大学1回生の時の冬も大雪で東北本線が止まり何日も帰省できなかったなどと余計なことも思い出しておりました。
第3部懇親会の開会前に何とか地下鉄の国際会館に到着、駅から国立京都国際会館に向かう人の列、クロークでの預け入れはすでに満杯とのことで中止となっていました。
会場のイベントホールに足を踏み入れると入り口のところがラグビーでいうモールの状態になっていて何とかすり抜けて、 東北の支部に指定されているというステージ前のテーブルにたどり着きました。
本当に福島からこのテーブルまでまさによくぞたどり着いたという達成感をしばし味わいました。
福島県支部からは田村さんと遠藤さんが第一部より参加されており、その様子なども聞かしていただきました。
懇親会はグリークラブOBによる合唱に始まり、京都市の乾杯条例を順守し伏見の銘酒で乾杯、 あの浜村淳氏(母校文学部卒ということを初めて知りました)の司会進行でテンポよく進んでゆきます。
地元勢の旺盛な食欲と数の力に圧倒されて、なかなか食料調達もままならない中、近くにあったカウンターからアルコール類を調達しては歓談に花を咲かせてきました。
懇親会も後半、私は25年の会津で開催された同志社フェスタに参加しなかったため村田学長と初めてお会いし、 言葉を交わすことができました。
また、福島に行きますという発言が印象に残っています。
私は国際会議場イベントホールを埋める2200の大人数、年齢層も大先輩から卒業して間もない社会人まで、 スーツ姿や和服の素敵な女性卒業生など多種多様な参加者を見て同志社が送り出してきた同志社人の力を目の当たりにした思いがあります。
反対に東北、北海道は1つのテーブルで間に合ってしまうほどの人数、京都をはじめとする関西での人的存在感とつながりに比べて、 東京以北における知名度の低さがこのフロアに凝縮されているという思いをもって参加しておりました。
懇親会は応援団による演舞の後同志社チアーズで華々しく打ち上げとなりました。
何よりも同志社ブランドの向上には私たち卒業生の生き方が求められると思いますが、 私たちの良心を確認する場として同志社懇親会は非常に有意義であると考えます。
来年もますます大きく開催できることを願ってやみません。
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