同志社大学の設立趣意書より ~新島 襄~
もちろん、この大学からは
あるいは政党に加入する者が出るかもしれない。
あるいは農業、工業、商業に従事する者が出るかもしれない。
あるいは宗教のために働く者が出るかもしれない。
あるいは学者となる者もあろう。
彼らによって達成されるものはさまざまなので、あえてあらかじめ定めることはできない。
とはいうものの、これらの人たちは皆一国の精神となり、活力となり、柱石となるべき人たちである。
すなわちこうした人たちを養成するのが、実に同志社大学を設立する目的なのである。
一国を維持するのは、決して二、三の英雄の力ではない。
実に一国を形成する、教育があり、知識があり、品性の高い人たちの力によらなければならない。
これらの人たちは「一国の良心」ともいうべき人たちである。
そして私たちはこの「一国の良心」ともいうべき人たちを養成したいと思う。
私たちの目的は実にここにある。
諺にはこうある。
「一年の謀は穀物を植えるにあり。十年の謀は木を植えるにあり。
百年の謀は人を植えるにあり。」
明治二十一年十一月
同志社大学発起人
新島 襄
良心碑
同志社大学今出川キャンパスの正門を入ると「良心碑」があります。
この良心碑は1940年(昭和15年)11月29日、新島襄永眠50周年を記念して建てられました。
そこには
「良心之 全身ニ 充満シタル丈夫ノ 起コリ来ラン事ヲ」
と刻まれています。
この言葉は、新島襄が晩年に同志社の生徒に送った手紙の一節からとられたもので、良心碑の文字はその自筆を拡大したものです。
新島襄は建学の目的に「良心を手腕に運用する人物」の育成を掲げました。
知識だけではなく、キリスト教に基づく徳育を重視、
「良心が全身に充ちあふれた人々を世に送り出したい」との願いからでした。
「良心碑」は、新島襄の熱き思いを私たちに語りかけてきます。
同志社校友会のロゴマーク
同志社校友会のロゴマークは新島襄がアメリカに向けて乗り込んだ船に因んでデザインされています。
1864年、新島襄は国禁を破って、函館からアメリカ合衆国に向けて出港しました。その時、乗り込んだ船が「ワイルド・ローバー号」です。
新島襄があの日、そうであったように、校友会のメンバーが同志社を卒業して、国内はもちろん、世界の「大海原」に希望をもって漕ぎ出していく姿をシンボルとしてデザインされました。